ペンギンの話

ペンギンのことをつらつら書いていきます。

動物園の逆説。

 新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、国内の多くの動物園水族館では、感染拡大防止のための営業自粛が行われてきた。

 その営業自粛の最中、東京都にあるすみだ水族館では、奇妙なイベントが開催されることとなった。水槽の周りに配置したモニターを通じて、リモートで人間の顔をチンアナゴに見せるというイベントだ。

www.sumida-aquarium.com

 なぜそんなイベントが開催されることになったかというと、営業自粛期間が長引くことで、チンアナゴたちが人間という生き物の存在を忘れはじめたためである。

 チンアナゴはとても臆病な動物だ。見慣れないものが視界に映れば、警戒してすぐに巣穴の中に引っ込んでしまう。チンアナゴたちが人間を忘れはじめたことで、彼らは人間の姿に怯え、なかなか人前で巣穴から出てこなくなった。姿が見えなければ健康管理も難しい。これは困ったというわけで、チンアナゴたちが人間の存在を忘れないように、不特定多数の人間の顔を見せてやる必要があったのである。

 このイベントには多くの人が参加した。しかし一方で、イベントの告知ツイートには、主旨をやや誤解した人からそんなことが必要なのかと疑問を投げかけるリプライが寄せられてもいた。曰く、野生のチンアナゴは人間の姿なんて知らないし、人間が近寄ったら巣穴に隠れるだろう。それがチンアナゴの「自然」であって、水族館とはそのような「自然な姿」を見せるところではないのかと。

 姿が見えないと健康管理ができない、というのが企画の主旨だったわけだからズレた意見ではあったのだけれど、私はこの意見に関心を持った。というのは、この意見が、動物園水族館の展示が内包しているある逆説に関わるものだったからである。

 チンアナゴは見えないのが自然だ、という意見には一理ある。確かに、野生のチンアナゴは人間を恐れる。人間の見ている前で、のんきにゆらゆらしていたりはしない。そう考えれば、見に行っても見えないのが「自然な姿」であることは間違いない。人間を恐れないチンアナゴは、野生下には存在しない「不自然」な存在とも言えるだろう。

 けれど、チンアナゴが巣穴から出てこない「自然」な姿を見せても、動物園水族館は、その役割を十分に果たすことはできない。それでは来園者は、動物たちの「外敵に怯える」というほんの一部の生態しか見ることができなくなってしまうからである。動物園水族館は、なかなか見ることのできない動物たちの野生下での生態を来園者に観察してもらい、動物への理解を深めてもらうために存在している。そうである以上、動物たちには、人間の前ではなかなか見せてくれない行動も、人間が見ている前で行ってもらわなければならない。巣穴の入り口を眺めているだけでは、チンアナゴの生態についての理解は深まらない。それでは飼育している意味がない。どうしても、出てきてもらわなければいけないのである。

 動物園水族館においては、動物たちの「自然な姿」を来園者に知ってもらうために、飼育個体たちに、人の目があっても気にせずに本来なら人前では見せない行動をするような「不自然な存在」になってもらわなければいけない。観察者を警戒しない存在になってもらわないと、「観察者の影響」を排した「真に自然な行動」を見せることができない。動物たちは「自然」であるために「不自然」でなければならないという逆説が、動物園水族館の展示には内包されているのである。

 動物園水族館で飼育される動物が「動物園動物」と呼称され、野生動物とは区別されている理由のひとつに、このような事情もあるだろう。

 野生動物について知るための最高の案内人であるために、動物園動物は野生動物ではなく「動物園動物」として馴致されなくてはならない。この逆説を、潔癖な人はなかなか受け入れられないのかもしれないけれど、私はとてもおもしろいと思っている。